怒鳴り声 受験 音楽

遠くから祖父の怒鳴り声が聞こえると、息が止まって、体中の血が重くなって流れが悪くなって、ぎゅっと体が金属みたいに固まって、動けなくなる。スマホAirPodsが手元にあるのを見つけて、辛うじて動かせる手で、素早くイヤホンをつけてSpotifyであんまり好きじゃない曲をいつものボリュームより2つあげてかける。あんまり好きじゃない曲をかけるのは、好きな曲たちは人の怒鳴り声をかき消すためのものじゃないから。私の人生に登場した好きな音楽たちを、怒鳴り声をかき消すために使うのは悔しい。

祖父の怒鳴り声が聞こえた瞬間、私は色んなことを考える。なんで怒ってる?矛先は誰?私は祖父から扉を何個も隔てた遠い部屋にいる、母は、祖母は、弟は、父は、どこにいる? 祖父を敵対視している父が起きていたら、父も怒っている可能性がある、父はまだリビングにいる、怒ってるかな?あとでピルを飲むためにお茶をリビングにある冷蔵庫まで取りに行かなきゃいけないのを思い出した。父が怒っていたらトイレの横の洗面台の水道の水で飲まなきゃ。母は泣いているだろうか?祖母は今頃祖父を宥めるために泣いて謝っているのだろうか、弟は自分の部屋に避難できているかな、逃げれてたらいいな。

最近はあまり祖父の怒鳴った声を聞いていなかったから、自分がどういう反応をするのかも少し忘れていたみたい。今年の夏頃からは、祖父と父が起きている時間、家の中では極力イヤホンをしてなにか音楽をかけていることにしている。夜ご飯も母に頼んで時間をずらして呼んでもらって、なるべく、私が傷つかないために会話を無くしている。私はこれが今の最適解だと思ってる。「みどりちゃん、あのね」という作品を読んだとき、私も祖父や父が死んだ時、もっと話しておけば良かったと後悔し泣くのだろうか、泣けない気がするなと思った。家にいる時にずっとイヤホンをして会話をしないことに少し後ろめたさみたいなものを感じる時がたまにある。そういう時は、私は今18歳で、受験もあって忙しいし、BAD入りたくないし、なんか、私が整ってないからしょうがないんだと思うようにしてる。もう少し大人になって時間ができてから考える じゃだめかな。血縁があるというだけで私が選ぶまでもなく同じ家で生活している差別発言したりむやみに怒鳴ったりする人のことより、いまは私の生活を大事にしたい。

結局は、弟が弾いていたピアノの音がうるさくて怒っていたらしい。この時間にピアノを弾いていて怒られたのは初めてだ。祖父はいつも、「俺が寝たら静かにしろ」と言う。8時に寝る日も10時半に寝る日もあるし、私たちには教えてくれないから自分で察知して気をつけるしかない。自分は夜中にトイレに行くときはトイレのドアを勢いよく音を立てて閉めるのに、私たちが静かに歩くスリッパの音が気に入らないと怒鳴りにくる。祖父は怒ると、ご飯を食べなくなったり、スマホの電源を切って家出したりする。夜に1回怒鳴るとその後が結構長い。怒っている祖父を宥める祖母の声を聞くと泣きそうになる。

父は最近、年のせいか、飲む酒を変えたからか分からないけど、悪酔いすることはなくなってきた。昔は、酔った時に話したことは何一つ覚えていなかったし、めちゃくちゃキレるか上機嫌かの2択だった。父は私に怒ることは無かったが、弟には厳しかった。私の話は女子供のする話と思っている節があり、真面目に話をした記憶がない。そもそも子どもにあまり関心がないけど。リビングの仕切りの扉には、昔父と母が喧嘩した時に父が扉を殴ったあとがある。幸い誰かに手をあげたことはない。父が扉を閉める音が大きい時は要注意。大体何かに怒っているときだから。父は話の全てを否定から入る人で、私は過剰に母の笑い話のような小さなミスを責めて笑うのを夜ご飯のときに見てから、最悪 飯が不味くなるってこういうことですね と思って父がいる時も避けてご飯を食べるようにした。

私も弟も、小さい頃から祖父や父の怒りを避ける術を身につけ、最近はうまく逃げたり、イヤホンやヘッドホンをつけたりできるようになった。私はフェミニズムに触れて、祖父がああいう人になってしまった一因には家父長制があるみたいに、祖父や父の怒りや振る舞いの根源が推察できるようになって、こうして文章に書けるようにもなった。それでも、怒鳴り声が聞こえると固まって涙が出そうになって、色んなことを頭の中が駆け巡るんだって思った。大学生になったら今住んでる所とは遠いところで一人暮らしする予定だけど、弟や母、祖母をこの家に置いていくことに不安と後ろめたさがある。私にこの家から出て血縁の家族に縛られずに生きる権利があることも知ってるし、そうした方が私の生活、心身の健康にとって絶対にいいことも分かってる。それでも、弟にとっては大人の頭数が1人減ることになるし、深夜に泣いた母の話を聞くこともできなくなるかもしれないと思うと、なんかこんな、私だけ一抜けみたいなことするのは、という気持ちになってしまう。家業があって母と祖母はここから引っ越せないし、弟はまだ来年も高校生。それでも私は家を出るけれど、弟と母も祖母のためにできることを、大学生になったら考えてなにか伝えようと決めている。

今日は日本史の江戸時代をやると決めていたのに、あの遠くに聞こえる怒鳴り声で、できなくなったのが悲しい 悔しい。怒鳴り声が聞こえて1時間は、まだ怒鳴り声が止んでいなかったらと思って音楽を止められなかったし呆然としてしまって苦しかった。そこから30分くらい経ってやっと言葉が出てきた。きっと今この文章を書くのをやめて日本史の勉強をしなきゃいけないんだろうけど、私がこれまでの人生で、動けない時に動き出すために編み出したのは文を書くことだったから。

あと1時間頑張ったら、祖父の寝る部屋の横を通った先にある部屋に置いてあるクッキー缶のなかの、シナモン味のクッキーを食べると決めていたのに、今日はもう無理そう。部屋の加湿器の水が空っぽなのも思い出したけど、祖父の部屋の真上を2往復もできないから諦めよう。

 

学校では、誰もガザとイスラエルの話をしていない。最近話題だよね、という目線でしか出てきていない。みんな、学問をする気があって、旧帝とかそれなりにいいとされる大学に入ろうと勉強しているのに、今世界や日本で起きていることを置き去りにしなきゃ受験に受からないって皮肉だなと思う。残念ながらスマホを開いてSNSでそういう情報を取りに行こうとしなきゃいけない環境にいるし、政治的なことを避けるような感じが漂っているからだと思う。

受験生をしていると、なんか空っぽになっていく感覚がある。考える時間や頭のキャパを勉強に取られて、私の考えがだんだんと薄くなっていく感じがする。

 

最近1番嫌なのは、音楽を、人の声をかき消す・話しかけられないようにする道具として使わなきゃいけないこと。音楽を音楽として聞く時間がめっきり減った。プレイリストから自然とバラードが減って行って、バキバキの音がずっと鳴るような曲が並んでいる。バキバキな曲の中にも好きな曲は何曲もあるはずなのに、その曲のことをただ周りの音が聞こえなくなるから、という理由で聞くのが悔しい。早く夜に部屋で音楽を流せるようになりたいし、私の好きな曲を、私が好きだという理由で選んで、聞けるようになりたい。

みんな、友だちの差別発言どうしてる?

⚠️LGBTQに対する差別発言、人種差別発言が出てきます

 

 

 

今週の月曜日、卒アルのクラスページ作りしてて、

友人A「なんかうちのクラス男子二人ずつの写真多くない?」

友人B「ホモクラスってことなんじゃない?笑笑」
っていう会話が目の前で起きた。

AとBは、高一の時同じクラスで、ずっと仲が良かった、親友、と言ってもいいレベルで。

本当に、その言葉が出た瞬間硬直してしまって、余りにも呆然としてしまって、息が止まった。この2人なら私のセクシュアリティのこと言ってもいいかなって思ってた時あったし、今でもうっすらそう思ってたんだよね、実際知って欲しかったし。でも一瞬で崩れ落ちた。あ〜やっぱこういう人達だったんだな、って、無理だなって、思って、辛かった。

 

は〜私の友人、高校の、マブ、は〜〜〜

私が通ってる高校の世界史の教師も、前授業の中で「ホモの友だち、ホモだちってことや!笑」と発言したことがあるの。確かにこの時、Bは笑ってたし、私はその後の休み時間にトイレに駆け込んで出てくる涙を必死で堪えた。

Aは、私が実写のリトルマーメイドを見に行くと言った時、「あんなん見に行かんでいいやろ。白人の方がイメージに合ってて可愛いし、いや黒人差別とかじゃなくてね、」と言った。

こんなのはほんの一例で、もっともっと、これまでの中でたくさん、無理かもってポイントが貯まってた。もちろんその場で反論したことだって何度もあるし、できない間柄じゃなかった。それでも、流石に今まで貯まってた言葉たちを軽々と超える大きさの言葉が出てきて、面食らってしまって今回は何も言えずただ呆然とするしかなかった。人間って本当に予期せぬ所から刃が出てきた時に何も出来なくなるんだって思った。時、止まった。

 

私はその日からちょうどデカめの風邪をひいてしまい、ここ一週間学校に行けてないんだけど、私次会った時ちゃんと笑って喋れるかな。どうしたらいいんだろ。

 

「ホモ」って、ゲイを蔑んで笑っていい対象として扱う時に使われる言葉で、一方私はシス女性のアロマンティック アセクシャルで、私に対しての直球の差別発言じゃないっちゃないんだよね。でも、巡り巡って私にも刺さった。LGBTQの権利について何も考えてない(もしくは否定的に思ってる)という宣言に近いように感じて、まず自分向けどうこう以前に、友だちが差別主義者って無理じゃない??友だち関係なくヘイターは無理ですが............

本音を言えば、"「ホモ」は男性の同性愛者を蔑むような言葉なので使ってはならない"レベルの認識が無い人は、きっと「私はアロマンティックといって、恋愛的に他者に惹かれなくて、またアセクシャルといって他者に性的に惹かれなくて、恋愛とセックスがしたくないんだけど.......」という話を到底理解してくれないだろうと、決めつけちゃダメって分かっててもそう思っちゃうよ〜泣 だってここはハートストッパーの世界じゃない、日本だし泣

 

2人は恋多きシスヘテロ女で、日常会話の中で恋愛の話もたくさんするの。別にそれが嫌なわけじゃない。ただ、大事にしたい友だちに、私のことちゃんと知って欲しいって思うじゃん。だから、私がアロマンティック アセクシャルですよって言おうかなと思った時も正直何度かあった。だからこそ余計かな、しんどさが教師の時とか家族の時とかとは別ベクトルで来てる気がする。

あの時なんも言えなかったのをちょっと後悔している。機械の電源が落ちたみたいに硬直しちゃった。でもしょうがなかったよね、とも思う。なんか、だって、悪いことしてきたのあっちだし?仲間内から刃を向けられた時に動けないの仕方ないでしょって。

 

あ〜〜2人とも好きな友だちなのにな〜〜

2人とも私に無いものを沢山持っていて、努力家で、楽しく話が出来る友だちなのに。各々の複雑な家庭環境とかも知っていて、そういう話沢山して連帯してきたし、日プ無印から見直したこともあるし、卒業旅行はディズニー行こうねって話してる。は〜〜〜〜マジ

 

分かってほしいよ全部。

私は対話を諦めないことが大切って知ってる。

でも私たち今受験生で、みんな他人と真剣に話す暇も心の余裕も無いのが当たり前だから話し合うなんて到底無理そう。てか多分2人とも覚えてないよ。めちゃくちゃラフに使ってたもん。

 

5日風邪で寝込んで、やっと文字にすることが出来るようになった。自分でもあまり経験したことないことで、頭が混乱して気も落ち込んで、なかなか事実以外のことが言葉にならなかった。その日に思ったことは、友だちのドデカ差別発言を聞いた日はゆっきゅんの鳴りが違うな〜くらいだった。日帰りで - song and lyrics by ゆっきゅん | Spotify

ずっと怒ってる私/最近バレーボール見てる

私は怒りすぎみたい。

うちの学校は県下一の進学校(一応)なんだけど、最悪で大嫌いな先生がいる。世界史の教師なんだけど、長年硬式野球部の顧問で、うちの学校出身で長く居るタイプの人。(ちなみにうちの学校では硬式野球部があらゆることに幅を効かせている。野球部だけ急に周年事業の一環で〇周年記念大会みたいなのやったり。ハイスクールミュージカルにおけるバスケ部。)

その人の有害なところは山ほどあるんだけど、例えば歴史上の男性2人を『こいつとこいつは一緒に住んでたらしい、ホモダチ(ホモの友だち)ってことや‼️ガハハ』みたいに言ったり、『最近の若者は愛校心が無い‼️もっと自校に誇りを持て‼️』と『挨拶の声が小さい‼️元気が出ない‼️』が口癖だったり、校章着いてないのにやたら厳しかったり、も〜〜〜っといっぱあたあるんだけどこれだけで十分なくらい最悪加減伝わるでしょ??嫌いになって当然だろこんなの、と私は思っているけど、周りの人達にはあまりこの差別発言や有害さを感じ取れてないっぽくて、「なんで嫌いなの?確かに怖いし好きでは無いけど悪い人じゃないじゃん」とよく言われる。今日も言われた。私だって鈍感になりてぇよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜

出来るなら誰も嫌いになりたくないし失望もしたくないし泣きたくないし考えたくないよ、でも私は「考えすぎ」って言うことで私の考えを止めようとしないで欲しいし、「考えすぎ」なんてもう人生で何度も何度も言われたし自分でも思ってきたの、でも考えすぎるのはやめらんなかったよ。それに私を「考えすぎ」にしてるのは誰?そもそもの性分が考えすぎる性格ってのはもちろんあると思うよ、でも私がもしヘテロロマンティック・セクシャルで金持ちな都会の家庭に生まれてたら考えなくてもよかったことって沢山あったよね?日本が人権教育とか性教育とかをサボってきたから、恋愛する奴至上主義の社会じゃなかったら、考えずに済んだこともたくさんあるだろう。そう考えると、私一人に「考えすぎ」「怒りすぎ」って言って私を黙らせることってなんか不当な気がするし、一緒に社会構造を、政治と教育を批判してほしいよ〜〜

それに、私はいつも怒るのと同じだけ傷ついている。特に差別発言に出会った時は。"Aスペクトラム"というものはそもそも知られていないので、名指しの差別発言は飛んでこないんだけど、例えば「〇〇ってホモらしいよ笑」みたいなおしまいすぎる差別発言をする奴が、Aスペクトラムの私のことなんて考えられるわけないし、こういうのは大抵、特定のセクシュアリティを貶めたい!というよりは、自分が決める"普通"じゃない奴全員笑い者にしてやる!なので、私も広義的に差別されてんだって感じる。怒りの前に傷つくフェーズがあるのを想像する人がもっと増えて欲しい。

 

 

最近男子バレーボールのOQTを見て若干ハマった。ハイキューが元々凄く好きで、バレーのことうっすら知っていたからハードルが低かった。感じた良い所は、とにかく走れ!焼けろ!全員同じ髪型で!みたいな野球部の嫌な感じ(ごめんいい比喩がなかった)があまり感じ取られないことと、単純に点がバンバン入る競技なので見ていて楽しい。

それでいて違和感もあった。

違和感①"NIPPON!コール"がなんか嫌。 これは、バレーどうこうというより見てたのが代表の国際試合だったせいだと思うけど、各々の頑張りが国に回収される感じがしてしまったし、私は日本にルーツがあるけど日本にそんなに叫ぶほど思い入れなくて、「このチームが勝って欲しい」とは思うけど、ただ漠然と「日本が勝って欲しい」と思う気持ちが分からなかった。(私が元々全然スポーツ見るのもやるのもしない人間だから余計感じたのかもしれない)

違和感②スポーツ選手のアイドル化の進み具合。今のバレーの男子日本代表にはイケメンとされる人が割と多いのも相まって、会場に集まるファンの姿やTwitter上でのファンの言葉・行動を見ると、アイドルオタクと同じような目線で見ている人も多いように感じた。全然悪いこととかじゃなくて、出るグッズの中にアクスタやペンライトがあったり、ファンクラブがあったり、言ってしまえば「アイドル売り」してきてるな〜と思うことも多々あるし、結局見る人がいなくなるとスポーツという産業が成り立たなくなっちゃうから良いと思うよ。でもなんか、距離感考えよう?って感じの人たちが見てて結構いて、危ういな〜と思う。あくまで相手はスポーツ選手であって、仮にアイドルっぽいことをしてきてたとしてもそれは「労働」の範疇でやってることで、私たちは消費しているんだぞ、という自覚?自戒?を持つと不必要に苦しまなくていいと私は思うし実践してる。スポーツ選手のアイドル化について書いてる本とかあったら読みたいな〜〜〜

 

 

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🌗😌💤

最近の困り話

やっぱり恋愛は今必要ないし、私が私として18年生きてきた中でもった個人としての考えでは、恋愛して得るパートナーよりも、パートナーシップを結ぼうとして(恋愛ではなく)得るパートナーの方が自分にとって意味があると思うし、私にとってはそういう意味でなきゃ生活に他人が存在する意義が無いなと感じてる。

母が言った「将来のことはいろいろ決めんでもいい」はそれはそう(セクシュアリティは流動的であってよいという意味で)なんだけど、恋愛しないこと、恋愛できないことってそんなに真剣に考えられなきゃいけないこと?とも思う。私にとっては恋愛が人生の一大テーマじゃないので、恋愛こそが人生 みたいな考えの人と出会うと新鮮にびっくりしてしまう。

恋愛しない=恋愛できない と読み替えられることにも最近は憤りを感じる。恋愛をなにかの能力のように、それも"出来る"人が上で、"できない"人は下で、不完全な人間だとする言葉だと思う。そう言っている人の多くは悪気が無いだろうし、あまりにも根底から出てくる言葉すぎてそこに自分の思想が滲み出ていることも考えつかないだろう。実際私の考えすぎなのかもしれないが、考えすぎじゃないかもしれないし、私は私の考えをそれなりに大切にしたいし。それにしても、この言葉を言う人があまりにも多すぎる。恋愛を結婚に読み替えるともっとよく聞くようになる。「結婚できる人・できない人」結婚には恋愛よりも「できる・できない」という言葉が付きやすい。

「結婚願望がない」「いつか結婚するんだろうな〜とも思わない」などと言うと、よく「老後1人で暮らす・1人で死ぬのは寂しい」「結婚は当然みんなするものだし、しない人は変わった(おかしい)人だ」と言われる。これマジ。ちなみに、前者はパートナーが自分より先に死ぬことや離婚することなどは往々にしてあるので説得力が無く、後者はそもそも現行の日本の婚姻制度では異性同士しか結婚が認められておらず異性愛者同士の結婚・異性同士の所謂友情結婚のどちらかしかないとも言えるので話にならないし、結婚至上主義の上に異性との恋愛至上主義も見えてしまって最悪。

恋愛については、私は"できる""できない"ではなく、自分の中に"ある" "ない"という感覚なので、"できない"と言われると、「私って、できないんだ........」と毎回思う。若干辛い。

 

 

好きな人なのに、大事にしたい友達なのに、言葉の端々が苦しい。

実写アリエルの話をしたときの「差別とかじゃないけど黒人じゃなくてよくない?」

結婚の話をしたときに「私イタリア人と結婚したいんだよね!かっこいいじゃん!」と無邪気に言われたこと

ちょっと人と違うこと言った時に「多様性ですけど!笑」って誤用かつ面白がって言うこと

「家事くらい女がやればいいじゃん」

絆創膏持ってるか聞かれて差し出した私に対して「女子力〜!」って言うの

「彼氏いらないってこと?強い女だね笑」

全部、全部些細なことで、私を傷つける意思が無いのは重々承知の上で、それでも苦しい。私には全くわからない感覚をもった人で、少しの差別発言が、少しの無自覚の偏ったジェンダーバイアスが、私のことを遠回しに傷つけていることを彼女は全く分かっていないのだろうけど、私は毎回ちゃんと傷ついて、ちゃんと忘れられなくなってる。祖父の話をしたときも、「おじいちゃん大事にしなきゃ!」って言われたし、政治の話をしたときには「老人にかける金が多すぎる 老人なんてどうにもならんのやから金かけてもしゃあないやん」って言われたのも、全部悪気が無いんだけど、なんかもう、根底の違いを感じてしまって、私が毎回勝手に傷ついて、しんどい。

 

血縁関係に意味を見出す人がこの世には多すぎないか??私は血縁関係(血の繋がり)はマジでなんでもないと思っている。血縁関係って大体は家族を大事にしようねの文脈で使われることが多いけど、家族ってそんなに大事にしなきゃいけないもんなの??この場合の家族っていうのはchosen familyじゃなくて、生まれたときから無条件に一緒に暮らしていたり、血縁関係を理由に結ばれていたり、そういう家族ね。自分で選び取ってない家族。私は、祖父のことも父のことも同じ家に住んでいなかったら、家族とされていなかったら、絶対に近寄らず、一言も話すことなく生きていきたいような考え・言動の人たちだと思っているから、ただ彼らが"家族"だからってだけの理由で、大事にしろと外野から言われるのが意味がわからない。自分からその人と共に暮らすことを選んでもいないのに、何故血縁関係があるだけで差別主義者と共に暮らさなきゃいけないんだよ???

私は常々一人暮らししたいと思っているし言ってもいるのだけど、一人暮らししたい1番の理由は「他人の機嫌を伺わなくていい生活」「祖父が祖母を使って家父長制を撒き散らすのを見なくて済む生活」「家の中でイヤホンしなくていい生活」がしたいから。友達に言ってもあんまり伝わらないことが多いんだけど、私の中では実家を出て1人で暮らす大変さや寂しさよりも、実家を出るメリットの方が遥かに大きいから、食事も洗濯も掃除も別にしたっていいんだよ。ただ、ドアをゆっくり音を立てないように閉めたり、K-POPを見ている時に祖父から「それ何人(なにじん)や?」と差別的な目線で聞かれたり、酔った父親が早く寝るのを願ったり、そういう生活から抜け出したいの。一人暮らししたらしたで、寂しいとか大変だとか思うかもしれないけど、そんなことまずどうでも良くて、ただただ慢性的な苦痛から逃げたいと思う。"家族"が皆にとっていいものだと思うな。

 

イヤホンない生活無理すぎる。

私にとってAirPodsProは、祖父から話しかけられなうようにするため、祖父から差別発言をされずにK-POPアイドルのコンテンツを見るため、電車で好きじゃない知り合いに話しかけられないようにするため、、、そういうストレス・苦痛に蓋をして生きていくためのサバイバル道具。特に祖父に対しては、私が何かされても歯向かうことは禁止されている(それで祖父が激昂してハンガーストライキし始めたりスマホGPS切って失踪したりすると母と祖母がしなきゃいけないケアがあまりにも大変なので)(私もその事情は分かっているし、母と祖母を大事にしたいので従っている)から、私に残された手段は耳を塞いで極力会話しないようにすることしかない。AirPodsProをして爆音で音楽を鳴らせば人の声であっても聞こえないし、話しかけられてもし続けることで「私はお前と会話する気が全くない」ということを示したいし(全く伝わっていないが)、目の前にいてもリナのThishellやXGのTGIFなどを爆音で耳元で鳴らすことでなんとか保てることもある。皆もあるでしょ?なんかちょっと嫌なことがあった時に、「まぁでも私の耳元ではハーヴィーさんがラップしてるし.......」って平静を保つこと。

私とアイドルアニメ・友達と"了解"し合いたい話

母に「そういえば、私は恋愛ドラマ見て、あぁ〜その恋の最初のウキウキした感じ分かるなぁ〜とか思ってニヤニヤしたり、彼氏と別れてすごい泣いたりとか不安になる気持ちとか、その恋愛に関して心から共感して号泣することがあるんだけど、あなたはあるの?恋愛ドラマとかみて理解するんじゃなくて心から共感したり泣いたりしたこと」って言われて考えてみた。

よく考えると、昔から好きで見返すようなドラマはHERO、コードブルー、MIU404などで、恋愛ドラマは1つも無かった。逃げ恥は何度も見返したドラマではあるけど、あれは恋愛以外にも性的役割分業やマイノリティの生き方など社会問題にリーチしたり、みくりと叔母のシスターフッドも十分にあったりしたところが好きだったから、母の言うような完全に"恋愛"が主題でその2人の話ばっかりやるようなドラマやアニメを好きになったことは無かったな。恋愛ドラマを見て号泣したことも無い。ハイスクールミュージカルのトロイとガブリエラの恋愛的シーンも心から共感したことは1度も無いし、ハートストッパーの、ニックとチャーリーが見つめあってビリビリしたり、エルとタオが美術館でどちらからともなくキスしちゃったりするのに心から共感はしてないな、とも思った。恋愛やセックスの描写に忌避感があるということではないし、全然いいんだけど、野次馬的にキャーキャー言ったり、「あ、そうですか〜よかったね〜」って思ったりするだけで、心から共感したり自分と重ね合わせて気持ちが揺さぶられることはないなと思う。(Aro/Aceの人の中にも恋愛・性愛コンテンツを楽しむ人はいるということは説明したよ あくまで"私"の場合の話でしかないからね)

 

私がラブライブ!アイカツが好きな理由は、アイドルの"恋愛禁止"要素があるおかげでストレスフリーに見れているからという面がある、とも発見した。私は、現実に存在するアイドルに向けられる暗黙のルール的な恋愛禁止にはむしろ反対していて、アイドルたちは労働時間・業務外では一般人同様に自由に暮らす権利が存在しているべきだし、私はアイドルとオタク(私)の関係の基盤が労働者と消費者であるということを見失いたくないと常に思っているに加え、アイドルであることと恋愛していることは両立可能だと思っている。だけど、アニメという2次元(生身の人間を対象としないということ)において、その"恋愛禁止"的側面がAro/Aceである私にとって物語を究極に近くストレスフリーなものにしているということは、少しは肯定的に評価してもいいんじゃないかと思った。

アイドルアニメにおいて歌われる歌たちも、3次元のアイドルたちがよく歌うものに比べて、まず恋愛ではないテーマ、例えば「成長」「仲間との絆」「ハッピーな生き方」「夢の実現」などが圧倒的に多く、恋愛のことを歌っていても、3次元のアイドルほど恋愛について掘り下げて細かい描写がされている歌が少ないように感じている。それも、私がアイドルアニメ音楽が昔から好きな理由の一つなのかもな、と思った。

 

あと1週間くらいで、今付き合っている人と別れるつもりだ。きっと別れたら色んな人から、「なんで別れたの?」「もったいないよ〜」などと言われると思う。どんなに仲のいい友達に対しても、「やっぱ1人でいるのが楽しくて〜笑」以外の回答を出来ない気がしている。

「1人でいるのが楽しい」は全く嘘では無い。嘘では無いんだけど、私が今付き合っている人と別れる理由は簡潔に言ってしまえば、"私がアロマンティックだと分かって、このまま付き合い続けるのは不可能だと考えたから"で、「一人でいるのが楽しい」はこの100分の1くらいの要素でしかないんだよね。でも、せめて高校のマブ2人には100を伝えたいと思う。

思うものの、異性愛規範とロマンティックイデオロギーにどっぷり浸かってシスヘテロとして生きている人にとって、私の感情や考えは理解しにくいだろうなと思ってしまう。伝える前から諦めるのも、どうせ無理だろうと思うのもよくないことで、そう思ってる訳じゃないと言いたいところだけど、やっぱり無理だろうと思ってしまう。悔しいけど。完全に理解してほしい訳じゃない、だって私もヘテロの人の恋愛に関する感情や他者に性的な欲求を抱く感覚を完全に理解することは到底不可能だと思うから。でもなんかこう、上手く言えないけど、「あ〜OKそういう感じなんだね」って"了解"してほしいし、したいと思う。そうすればそこから痛みを想像したり分かちあったりできそうだし、より大事にできそうじゃない?大事にしたいもん。

ただ、違う互いを"了解"する為にはきっと沢山の対話が必要だろうけど、人と沢山話すことを全ての人が得意な訳じゃないんだよな。私は、好きな人たち、大事にしたい人たちとの対話は惜しみたくないし、人と沢山話して聞くことで得られるその人との歴史に価値を感じているし、対話から逃げない覚悟みたいなものもけっこうある。でも往々にそうじゃない人っていうのもある意味当然仕方なくいて、友達がそうじゃない人だった時、"了解"まで行くのは難しいかもしれないな、と思う。別に全員が対話に大きな価値を見出してそれをし続けるべきなんて思ってないし、どっちが優れてる劣ってるってことも無いんだよ。ただどんな形であれ好きな人たちとは互いを"了解"する努力をしていきたいと私は思うけど、その難しさを同時に感じているという話がしたくてさ........言葉にするのめちゃくちゃ難しいな〜〜〜

でも、「一人でいるのがやっぱ楽しくて笑 私には合ってなかったわ〜」が恋愛という波に乗れなかった負け犬の遠吠えのように思われるのもそれはそれで嫌で悔しいんだよ。あとは「強い女だもんね〜」みたいに言われるのも。「強い女」はもちろん好きですが、私の話は「強い女になりたいかどうか」じゃないのに!!と思っちゃう。人間生活難し〜〜〜🏳️‍🌈

カミングアウトした

なんか、急にカミングアウトした。

 

私には今異性の付き合っている人がいる。「お前、アロマンティックなのに!?」と私ですら思うが、私はこの人と付き合うまで自分がアロマンティックだと確信出来ていなかった。その証拠(?)に、私が固ツイにしている去年の冬に書いたブログの中でも、アセクシュアルであることはほぼ確定していたものの、恋愛的指向がわからないなどと書いていて、Twitterのプロフィールにも「Aro/Ace」ではなく「Ace」もしくは「Aスペクトラム当事者」と書いていた。

 

付き合うことになったのは、相手から告白されたから。それまでも、私の経験上蓄積された「一般的に、恋愛的に好きな人へ行う言動」を自分に向けられているという感覚があったから、薄々告白されるかもな〜とは思ってはいた。その時は薄ら自分のAro感を感じていたものの、恋愛的指向というものがどういうものかそもそも分かっていなかった為に判断もつかないし、相手の人もそんなに悪い人じゃないから人生経験としてやってみるか、と思いOKした。

まぁなんか、やってみないとわかんないことってきっとあって、今それができるタイミングで、自分が傷つけられる可能性は低いだろうという条件の一致で、付き合うことにしたって感じ。その時は好きじゃなかったけど、「付き合ったら好きになるってこともあるでしょ」とシスヘテロの恋多き友達から言われたので、その説を信じてみたっていうのもあった。

 

結論から言うと、無理だった。私、全然アロマンティック人間。

 

 

まず付き合ってすぐくらいの時。塾が一緒なので塾が開いてる時間ギリギリまでいて一緒に駅まで行く生活をしてた(私は電車で相手はバス)。まぁそれなりに楽しく喋りながら行くんだけど、分かれて1人になった時にふいに、「あれ、これ女友達と何が違うんだろう?友達で良くないか?」などと思ってたことを鮮明に覚えてる。

その後、段々と相手が別れ際に「寂しいよ〜電車来るの早い〜😢」みたいなことを頻繁に言うようになった。

私はそもそも1人が好きだと自負している。1人で他県のコンサートに行ってご飯食べて帰ってくるなんてざらにある。しかもその時に寂しいとは全く思わない。全く。そもそも、一年のうちに誰かに会いたいと思うことなんてめちゃくちゃ仲良い友達ですら5回くらいだし、そんな出会って2ヶ月ちょっとの人に会いたいな、寂しいなとか思わないでしょ。

という感じなので、恋人の言う「寂しい」「会いたい」がマジで1ミリも共感できなかった。でも、私と相手の人の性格も、育ってきた環境も真逆に近いところがあるからしょうがないかな〜とも思ってた。

 

しかし、友達や家族と話す中で、この相手や世間の人の言う「寂しい」「会いたい」は【恋人に向けた特別な感情】だってことが判明した。

私の友達は恋多きシスヘテロ女が多いのだが、恋多きシスヘテロ女の皆さんは口を揃えて

「いやいや〜〜そんなこと言ってても、相手は彼氏なんだから会いたいとか寂しいから電話したいとか思うもんでしょ??だって彼氏なんだから、友達じゃないんだよ?」

といった主旨のことを言う。これを、私は理解はできても、自分の感覚としては全く"ない"感覚であり、きっと会得も出来ないものだと思った。これが辛いことの1つ。相手の言う「会いたい」「寂しいよ」に、決してどんなに努力しても同じ意味で応えられないこと。

 

夏休みに入り、水族館に2人で行くことになった。まぁそれなりに楽しかった。相手は良い人なので、魚を見て「これ食べれるんかな」とか「綺麗な魚だけ見たいわ」とかなんとか言う私に呆れず面白がって笑ってくれたし、展示の横にある文章を全て読もうとする私にもつきあって一緒に読んでくれた。やさしいな〜〜

あの人は、唐突に「手繋いでもいい?」と聞いてきた。なんで?と聞くと「周りのカップルが皆繋いでるし、だめ?」と聞かれたのでまぁいいかと思って手を繋いだけど、なんかいまいちしっくりこなかったし、なんか若干嫌だった。「手ちっちゃくてかわいいね」って言われたことも嫌だった。

色んな話をして、一日中一緒に過ごしてみれば、好きになるかな〜と思ってた。一日一緒に過ごしても、好きって気持ちは分かんなかった。なかった。嫌いなところが見つかったからでもなくて、めんどくさいからでもなくて、ただ、みんなが努力無しに抱く"好き"って気持ちが私の中に存在しなかった。

これは、母にカミングアウトする中でしっくりきた言葉なんだけど、【愛があるけど恋がない】状態。大好きなアーティストや友達はいて、そういう人たちを大切にしたい、幾らでも話をしたいし、「あぁ、私この人達のこと好きで良かった」って思ったことも何度もある。ただ、世の中の人たちが何かに対して抱く「恋してる」って感覚が存在しない。ただ「好きだから」じゃなくて、「好きで、恋してるから」何かをしたい、って感覚がない。伝わるのかな。

 

恋人が友達より優先される風潮も理解出来たことがない。

例えば、前々から2人で一緒に行こうって約束してた花火大会の1週間前とかに友達に彼氏が出来た時、「いいの?私(友達)なんかと行って、彼氏と行きなよ!」って言うの。

なんで急に、そんなぽっと出の人間がこれまで2年3年と友達だった私を越えられる訳!?!?そんな訳なくね!?!?私たちが積み上げてきた歴史は、対話は、関係性は!?なんだったの!?!?!?!?!?

と言ってしまいそうになるのを堪える人生を送っている。"恋人"というだけで友達とは違う感情を抱いて、急に愛を伝えあったりして、なんなんだその関係。怖すぎる。

 

また、自分の行動の源泉を恋愛にされるのを異様に嫌がってきた人生だった。水族館に行った日、私は白色のワンピースを着て行ったんだが、朝私の姿を見た弟に「いいじゃん、初デートっぽくて」と言われたのが凄い嫌だった。褒められてるのに。そもそも私がAroであるかどうかの前に、人のやることなすことを全部その人が恋愛しているからだって言う風潮はクソだと思う。髪切ったら「失恋したの?」普段より華やかな格好をしていたら「今日デートなの?」 こういうこと言う奴マジで友達になりたくないね。

それは置いといて、私がアロマンティックだからそう思うのか、単純に私の中のつよつよクィアネスが私にそう思わせるのかは分からないが、褒められ文脈でさえ嫌な人はそんなに多くない気がする。

 

もう1つ理解できなかった話の例として、私の友達や家族の言う「恋人にキュンとする話」がある。

例えば、私の友達は恋人と待ち合わせをして、一日のうちで初めて顔を合わせた時、それまでも当然何度も顔を見ているのに「やっぱりかっこいいな、好きだな」と思うらしい。

他にも、「歩いてる時にぱっと顔見て好きだなって思う」「友達にはしないけど彼氏にはLINEすぐ返そうと頑張ってる、嫌われたくないもん」「別れたらどうしよう」など。ちなみにこの全部が私の中には存在しなかった。友達に抱く感情とは違う、大して根拠の無い好きという感情で心がいっぱいになって、嬉しくなったり不安になったりするんだな〜〜と客観的に思ったと同時に、私ってやっぱ恋愛的な好きって感情自体存在しないんだなって思うようになった。

 

やっとカミングアウトに向けた話になるよ!

 

月 水族館に行く

水 ハートストッパー見る

木 ACEアセクシュアルから見たセックスと社会のこと を買う

金 ★カミングアウトする

土 花火大会に行く

 

曜日は適当だけど時系列は上のような感じ。1週間怒涛すぎ!!!

 

 

水族館の日以降、自分は恋愛的に好きという感覚が無いんじゃないか、好きって、何??の考えに頭が支配され、来る花火大会(一緒に行く予定)のことを考えると泣きたくなっちゃう日々を過ごしていました。そんな中、母から、「少女時代ユナと2PMジュノの恋愛ドラマを見るためにNetflixに入ったよ!」という最高の知らせを受け、前々から評判の良かったハートストッパーを見ることに決めました。最初はちょっとずつ見るつもりだったのに、気づいたら2期最終話まで泣きながら見切ってた。ハートストッパーの感想はビビるほど書き溜めてあるのでそれはまた後にして、カミングアウトに関係する感想だけ言うね。

(⚠️以降ネタバレあり⚠️)

 

私はこれまでドラマよりはアニメと漫画で育っていて、海外のものを見るようになったのはハイスクールミュージカルに出会ってからだから、ハートストッパーが人生で初めて、登場人物が皆ナチュラルにクィアティーンで、LGBT当事者の生活を描いた作品だった。ニックが自分のセクシュアリティに悩む姿も、タオがぽっと出の友達の好きな人に友情を壊されそうで怒る姿も、全部私が求めていたものだったのに、初めてで。

そして、アセクシュアルアイザックというキャラクターがいた。アイザックは1期では光が当たらなかったものの、2期の最後にACEと大きく書かれた本を掴み取った。Aスペクトラムティーンが存在するコンテンツを、何度も言うが私は人生で初めて見て、とっっっても大きな勇気を貰った。あんな恋愛ばっかのストーリーの中にも、私は存在するんだって涙が出た。

また、ニックが母親に「自分はバイセクシャルだ」とカミングアウトするシーンで、ニックは母親に認められ、抱きしめられていた。そんなことってあるんだな。

ハートストッパーを見て、カミングアウトするということ、クィアとして生きていくことに若干の覚悟が出来た気もするし、全然そんなことない気もする。ただ、ハートストッパーは私の中の"人生における大切作品"のフォルダに入った。ありがとね。

 

 

この日の夜、ハートストッパーを見終わってTwitterを見ていたら、私の地元にクィアな本屋があると知った。商店街の中にある個人経営の店で、歩いて行ける。明日行こう!と決めて寝た。

次の日、1人で本屋に行った。見たことないZINEや本たちの中に、「ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと」という、前々から絶対欲しい!と思っていた本があった。

そんな絶対欲しい!と思っていた本を手に入れられなかったのには理由がある。まず、私の住む街には、本屋がない。正確には無くなった。電車に乗って行った先のチェーン店的な本屋にはそもそもアセクシュアルについての本が置いてあるようなコーナーがほんの少ししかないことが多い。通販は?と思うだろうが、私は実家住みでバイトも出来ない学生だから、誰にもカミングアウトしていない状態では「ACE」と大きく書かれた本が届いたら何を勘繰られるか分からない為に通販で買うことも出来なかった。

少し値は張るが、前日に「ACE」と大きく書かれた本を手に入れ抱きしめるアイザックを見てしまっているのに加え、次いつ来れるかなんて分からなかったので悩みに悩んで買った。

買った本をリュックに入れて歩き出した途端、なんだか自分がすごく誇らしくなって、スキップしちゃったね。(良いエピソードすぎる)

まだ本の内容読んでもないのに、自分のことが誇らしくなって、「あぁやっとこの瞬間が来た、ずっと待ち望んでいたこの瞬間が、私は私だよ」って叫びたくなった。ちょっと泣いた。

 

翌日、花火大会の前日。

一日中塾にいて、塾にいる間明日の花火大会のことをずっと考えてた。この前水族館の時に決定的に近くなった違和感と、自分はアロマンティックなんだということが結びついてしまった今、私はこの世に味方が1人もいない状態で生きていけるのかと自問自答を繰り返した。

夕方になって、段々決意が固まってきて、それでもまだ躊躇して、母へのLINEで「今日夜時間ある?」の言葉を書いたり消したりして、Twitterにも不安を喚いた。

https://x.com/nakashima_is/status/1689564815117987841?s=46

でもなんか絶対今やらなかったら後悔するし、人生なんでもタイミングでしょ!というハロプロの教えにより「上手くいかなかったらフォロワー慰めて❕」と言い放ち母にLINEを送った。

 

電車に乗りながら色んなことを考えた。母はアロマンティック・アセクシャルという言葉を知っているだろうか?どこまで理解しているのだろうか?昔自分が書いたブログや日記を読み返しながら、何を喋るかメモを作った。

 

〈メモの内容〉

・アロマンティック アセクシャルって知ってる?

・恋愛的指向、性的指向の存在

・去年の春くらいからそうかもと思い始めて、去年の冬にはブログも書いてること、確信した経緯

・今付き合ってる人がいること

・おすすめしたいサイト、本など(私はAセクAロマ部 というサイトと私が買ったACEという本を手始めに)

・この先変わることがありうること

・信頼していて味方でいてほしいから話した、他の人には言わないでほしいこと

 

実際に話す時も、「何を話すか考えてきたからスマホのメモ見ながら話す」と伝えて見ながら話した。私は落ち着いて話せたのでメモあって良かったと思う。

 

母をスタバに誘い、(近くで夜遅くまでやってる店がスタバかファミレスくらいしかなくて、家じゃない方が良かったので)ドーナツとホワイトモカを買って、話し出した。

「アロマンティック・アセクシャルって分かる?私それだと思うんだよね。」

って言ったら、母は、

「分かるよ、てか薄々そうだと思ってた。」

と言ってくれた。そこから、前述したようなことや前のブログにあったことをつらつらと喋った。沢山沢山喋ったけど、感情的にならず、冷静に、でも笑って穏やかに話せた。

 

母と話す中で、自分が本当にどう思ってたのか自分でも分かってなかった感覚や、シスヘテロの相手に伝わる表現を探すという点でより納得できる且つ伝わる言葉を見つけられたことが思わぬ収穫だった。思えば、恋愛という概念やそれに付随する一般的とされる感情・言動について、SNS上や文章の中ではあれど即座に反応が帰ってくる生身の人間と対話したことが無かった。

また、カミングアウトして、"この世に私が「アロマンティック・アセクシャルである」という前提で話が出来る人間が存在する"という安心感を得られたのは大きい。私が差別された時に反対してくれる人がいる。私が日々感じる辛さやクィアネスを感じるものに出会った時の喜びを伝えられる生身の人間がいる。これって想像よりでっかい安心感だった。

 

私の特権的な所があるとすれば、まず母親と信頼関係が結べていること、そして母がフェミニストであることだろう。そもそも、周りに信頼できて話が通じる大人が存在するクィアティーンって超少ない気がする。親も、先生も、友達も皆信用出来ないと感じてる人って結構な数いると思う。てか大体そうじゃない?

母親と信頼関係が結べていて、しかも母がフェミニストであるということは割と稀有だろうと自負しているし、私のカミングアウトが上手く行った要因の大部分はそれだろうと思ってる。ただ、母は世代的なアメリカ憧れと、男女二元論的な感覚を言葉の底に感じることがあるなど完全に賛同出来るわけではないけれど、母は会話が出来る人で、私の話を聞いてくれる人だから、話し続けることが出来るだろうと踏んでいる。

 

私は、何かあった時にすぐ文字にして記録してしまう癖(くせ)があるので、こんな長々と文字にしてしまったが、今回の件の中で何度も過去の自分のブログや文章を読み返したように、これからの人生でこのブログに私が感謝するかもしれないと思って書いた。それに、私たちAスペクトラムの人間は、LGBTという言葉がある程度広まった今でもなんか結構見えてないっぽいし、日本語で書かれたティーンの当事者の話もあまり見当たらないので、殴り書きで構成もままならない状態でも書いておこうというクィア魂もある。

 

埋め込んだツイートについても触れておきたい。

日本でクィアとして生きるの、辛すぎる。普通に、これまでの人生も辛かった分、「私、この感じのままあと何十年生きるの!?」とたまに考えては泣きたくなる。伝統的家族観(笑)に固執して、性教育を避け、マイノリティを見ないことにして、人々から多すぎる税を巻き上げ、不祥事起こしまくりの政治にももううんざりだし、そのせいでなのか変わらないメディアも、マジョリティの人々の意識も、ヘイター達の言葉も、全部が積み重なって絶望させられて、生きてることが抵抗になる世の中をあと何年生きるんだろうな。自分のことをクィアだと認めて、性的マイノリティだと認めてしまう怖さがあった。そんなの存在しなくていいはずなのに。選挙行こ。

ハートストッパーの中でもあったけど、自分はこのセクシュアリティです!って明言するのも難しいよね。セクシュアリティって変わっても全然OKだし、そもそもラベル(用語)も、私の為に使うことが第一であることは明確なのに、それを忘れちゃう時がある。それに、私は、言ったセクシュアリティが将来も変わらないという意味で使わなくていいことも、言葉が当事者の安心や連帯の為にあることも分かっているけど、世間の皆さんはそんなことさらさら分かって無いでしょう?推察するにね。そう決めつけるのも良くないとは思いつつも、Twitter上でも、政治家やテレビの中の有名人を見てても、決めつけてかかってしまうのはやむを得ないよね〜。だから、どれだけ何を説明して分かってもらえばいいんだろ、分かってくれるのかな、と考えてたらキリが無くて辛かった。

 

 

なんか辛いことばっかり書いてた気がするけど、私自身はアイドルオタク学生として割とハッピーに生きている。が、ハッピーで文句を言わない慎ましく生きる性的マイノリティは許してやるよ、という世間の目には対抗していきたいので、私は陰気で不健康で体力のない鬱経験のあるクィアでもありながら、ハッピーにも生きるぞという気概を忘れないようにしたい。

 

絶対大学受かってやりたい学問やりたいし、アゲアゲ編み物クラブもやりたいし、アンジュルムXGとゆっきゅんと藤井隆とこの世の全ての行きたい現場に行きたいし、同世代のクィア達と語り合いたいし、読みたい本全部読みたいし、やりたいこと全部やるんだ。この夏はこのカミングアウト以外にも色んな事件と変化があった夏で、きっと祖父母の介護とか父母の病気とかこれからも大変なことたくさんあるけど、全部文章にしてやるんだ。そうやって全部忘れてやんね〜し、いっぱい考える人生を送ろう。

 

最後に、

ひとしきり泣いたあと

知らない人に話しかけられた時

めちゃくちゃ泣きたいけど絶対泣けない状況で

最悪なニュースを見た時

マジ最悪大泣きしてるのに明日学校に行かなきゃ行けない夜

誰かにまだ言ったことの無いことを伝えに行く電車の中で

聞くプレイリストをここに貼り付けて終わりにする。

https://open.spotify.com/playlist/2hwKPSvWvK0sfTBeyubot4?si=aySrep7dRA-PjykKiJtYzw

 

 

 

 

追記

間違ってる用語の使い方とか、これってどういう意味?(ヘイターはお断りですが)とか、間違った認識や意見などがあれば(もし読んでいる人がいれば)私のTwitter(X?)にDMかリプくれると助かります。

部活の「同期」とAスペクトラムの私

中学からやってきた吹奏楽部生活に幕が降りた。これでもう、唇の調子を気にしてリップを買い続ける生活をしなくていいと思うと気が楽。それで、思うことがある。「吹奏楽」というでっかい存在には文句がめちゃくちゃあるけど、それは一旦置いといて、「同期」という関係について。

部活の同期って、友達でも仲間でも無くて、「同期」なんだよな〜という気持ち。特別外で会って遊びに行くことも無く、ご飯食べに行こうも無く、お互いの交友関係に興味が無い関係。私にとってはそれが凄く心地良かったんだなって。

互いに対する興味が大して無くて、毎日LINEする訳でもなくて、なんて言えばいいのか難しいけど、ある意味互いに対して無責任でありつつ、最も信頼している関係だなって。そんな関係だからこそ、話せることがあって、力になれることがあって、ストレスが無かった。友達にだと言えないことも同期になら言えた。余りにも長い時間を会って過ごしたから、互いのことを分かりすぎていて、自分のことが分かられているという安心感もあった。

いつ行っても同じ人が同じように居る。喧嘩もしない。全員が一定の「同期」という距離を超えてこようとしない。そんな安心感もあったからだろう。

 

私は自分が思っていたよりもハグをすることが好きだったんだな、と思う。

マジで部活のこと以外でLINEもDMもしない、部活でしか会わない、でも会ったら沢山愚痴を言い合って、何気なくハグをする関係の人が1人居た。文面にしたら奇妙な関係だけど、自分から連絡を取る友達の数が片手に収まる人生を生きてきた私にとって、その距離感はすごくすごく貴重なありがたいものだったと。その子の深くを全て知っていたなんてことはさらさら無いし、家族のことも悩みも喋ったことはあるけど覚えてないと思う。その時自分が話したいことをお互いにペラペラ喋って、疲れたねってハグしあって、本当にそれ以上もそれ以下も無い関係。自分が話したことがその子以外に伝わることを危惧しなくてよかった(これって結構凄いこと)。自分が話したくないことは話さなくて良かった。無言で過ぎる時間が苦しくなかった。毎日必ず喋らなくても良かった。互いが互いにとって都合が良かった。

 

私たちはきっと、同期じゃなかったら話してないと思う。「同期」という関係はとても私に合っていて、丁度いいんだな〜。私は、人と毎日連絡を取るのが苦手。LINEが来ても、相当歴の長い友達か家族からであっても即レスはしない(できない)。通知を見ることが苦痛で、全部のLINEの通知は切ってるし、この世の人達が毎日毎日何をそんなに他人に送って会話してるのかが知りたいと常に思ってる。

あと、今のところ私の人生に"恋愛"が無いから、他人の恋愛相談にはいくらでも乗るけど、自分には全くないから求められてもどうにもならない。そもそも会話も苦手だし、1人でいることが苦痛じゃないの。だから、一定の距離感は常に保ちたくて、毎日連絡し合うのも割と無理な私にとって部活の同期ほどストレスフリーな関係があっただろうか。

 

同時に、この関係って作るの本当に本当に難しいんだろうな、とも思う。Twitterの相互に近い感じ。話したいことがあるときに話してハグしたい時にハグするような、常に一定の距離感が保たれていると共に、"いつもいる"安心感と、いつも遊びに行く友達よりも何処か信用している感覚。今書いててすごい腑に落ちてきた。なんで私が同期の関係が心地よかったかって、部活の同期の関係がTwitterの相互とやりとりする感覚に似てるからかも。そうか、そう思うとより有難いな。Twitterの相互と隣の家に住むみたいな感じだもんな。これ、めっちゃ私が求めてた(求めてる)関係では!?!?なにせ私、老後は友人と隣の家に住んで阿佐ヶ谷姉妹やりたい党所属なので....................

 

そして、私はAスペクトラムの中の人間だ。(Aroっぽいな〜とは思いつつも、今はAceしか断言できないのでAスペクトラムの中にいるんだと言っています)だから、恋愛の話をしなくても関係が続けられていたことも良かった。私の人生上、恋愛の話で深まったり保たれる関係性が一定の場合で(仕方なく)あると思ってて。自然と恋愛の話をしずに仲良くなって、楽しく話せて、たまにどっちかが「まって、一旦ハグしていい?」(この言葉いつも自然に言ってたんだけど、ちゃんと同意とってるやん 当たり前だけど)って言って何の気なしにハグする関係って希少じゃね?部活終わるまで気づかなかったけどクソ理想的じゃん.........

 

追記すると、この「同期」の関係は、私が所属していたのが吹奏楽部だからということも関わってきそうだと思ってる。(ここから話す吹奏楽部についての所感はあくまで私の経験した一例にすぎず、強豪校かとか地域性とかで変わってくると思う)

吹奏楽部って、わりとしっかり縦社会で、「先輩」「後輩」「同期」のくくりがはっきりしていて、かつ30〜50人の大所帯で活動する部活だ。そして、部活の日数がめちゃめちゃ多い。だから、ほぼ毎日顔を合わせることになるし、学校までの行き帰りも一緒にならざるを得ない。また、私の学校の吹奏楽部は生徒の自治性が強かった。学校の顧問は、保護者への連絡や大会・お金関係だけで、特に何もしてない。練習の方針や吹く曲、予定を組んで連絡して話し合いをするのも練習に関することはほぼ全て生徒たちで行う。そのため、結果的に腹を割って話すしかなく、気まずいまま卒部するのは無理に近い。こういう吹奏楽部の特異性があってこそ、出来た関係かもしれない。吹奏楽、文句は沢山あるけど、やってよかったのかもな〜〜〜