怒鳴り声 受験 音楽

遠くから祖父の怒鳴り声が聞こえると、息が止まって、体中の血が重くなって流れが悪くなって、ぎゅっと体が金属みたいに固まって、動けなくなる。スマホAirPodsが手元にあるのを見つけて、辛うじて動かせる手で、素早くイヤホンをつけてSpotifyであんまり好きじゃない曲をいつものボリュームより2つあげてかける。あんまり好きじゃない曲をかけるのは、好きな曲たちは人の怒鳴り声をかき消すためのものじゃないから。私の人生に登場した好きな音楽たちを、怒鳴り声をかき消すために使うのは悔しい。

祖父の怒鳴り声が聞こえた瞬間、私は色んなことを考える。なんで怒ってる?矛先は誰?私は祖父から扉を何個も隔てた遠い部屋にいる、母は、祖母は、弟は、父は、どこにいる? 祖父を敵対視している父が起きていたら、父も怒っている可能性がある、父はまだリビングにいる、怒ってるかな?あとでピルを飲むためにお茶をリビングにある冷蔵庫まで取りに行かなきゃいけないのを思い出した。父が怒っていたらトイレの横の洗面台の水道の水で飲まなきゃ。母は泣いているだろうか?祖母は今頃祖父を宥めるために泣いて謝っているのだろうか、弟は自分の部屋に避難できているかな、逃げれてたらいいな。

最近はあまり祖父の怒鳴った声を聞いていなかったから、自分がどういう反応をするのかも少し忘れていたみたい。今年の夏頃からは、祖父と父が起きている時間、家の中では極力イヤホンをしてなにか音楽をかけていることにしている。夜ご飯も母に頼んで時間をずらして呼んでもらって、なるべく、私が傷つかないために会話を無くしている。私はこれが今の最適解だと思ってる。「みどりちゃん、あのね」という作品を読んだとき、私も祖父や父が死んだ時、もっと話しておけば良かったと後悔し泣くのだろうか、泣けない気がするなと思った。家にいる時にずっとイヤホンをして会話をしないことに少し後ろめたさみたいなものを感じる時がたまにある。そういう時は、私は今18歳で、受験もあって忙しいし、BAD入りたくないし、なんか、私が整ってないからしょうがないんだと思うようにしてる。もう少し大人になって時間ができてから考える じゃだめかな。血縁があるというだけで私が選ぶまでもなく同じ家で生活している差別発言したりむやみに怒鳴ったりする人のことより、いまは私の生活を大事にしたい。

結局は、弟が弾いていたピアノの音がうるさくて怒っていたらしい。この時間にピアノを弾いていて怒られたのは初めてだ。祖父はいつも、「俺が寝たら静かにしろ」と言う。8時に寝る日も10時半に寝る日もあるし、私たちには教えてくれないから自分で察知して気をつけるしかない。自分は夜中にトイレに行くときはトイレのドアを勢いよく音を立てて閉めるのに、私たちが静かに歩くスリッパの音が気に入らないと怒鳴りにくる。祖父は怒ると、ご飯を食べなくなったり、スマホの電源を切って家出したりする。夜に1回怒鳴るとその後が結構長い。怒っている祖父を宥める祖母の声を聞くと泣きそうになる。

父は最近、年のせいか、飲む酒を変えたからか分からないけど、悪酔いすることはなくなってきた。昔は、酔った時に話したことは何一つ覚えていなかったし、めちゃくちゃキレるか上機嫌かの2択だった。父は私に怒ることは無かったが、弟には厳しかった。私の話は女子供のする話と思っている節があり、真面目に話をした記憶がない。そもそも子どもにあまり関心がないけど。リビングの仕切りの扉には、昔父と母が喧嘩した時に父が扉を殴ったあとがある。幸い誰かに手をあげたことはない。父が扉を閉める音が大きい時は要注意。大体何かに怒っているときだから。父は話の全てを否定から入る人で、私は過剰に母の笑い話のような小さなミスを責めて笑うのを夜ご飯のときに見てから、最悪 飯が不味くなるってこういうことですね と思って父がいる時も避けてご飯を食べるようにした。

私も弟も、小さい頃から祖父や父の怒りを避ける術を身につけ、最近はうまく逃げたり、イヤホンやヘッドホンをつけたりできるようになった。私はフェミニズムに触れて、祖父がああいう人になってしまった一因には家父長制があるみたいに、祖父や父の怒りや振る舞いの根源が推察できるようになって、こうして文章に書けるようにもなった。それでも、怒鳴り声が聞こえると固まって涙が出そうになって、色んなことを頭の中が駆け巡るんだって思った。大学生になったら今住んでる所とは遠いところで一人暮らしする予定だけど、弟や母、祖母をこの家に置いていくことに不安と後ろめたさがある。私にこの家から出て血縁の家族に縛られずに生きる権利があることも知ってるし、そうした方が私の生活、心身の健康にとって絶対にいいことも分かってる。それでも、弟にとっては大人の頭数が1人減ることになるし、深夜に泣いた母の話を聞くこともできなくなるかもしれないと思うと、なんかこんな、私だけ一抜けみたいなことするのは、という気持ちになってしまう。家業があって母と祖母はここから引っ越せないし、弟はまだ来年も高校生。それでも私は家を出るけれど、弟と母も祖母のためにできることを、大学生になったら考えてなにか伝えようと決めている。

今日は日本史の江戸時代をやると決めていたのに、あの遠くに聞こえる怒鳴り声で、できなくなったのが悲しい 悔しい。怒鳴り声が聞こえて1時間は、まだ怒鳴り声が止んでいなかったらと思って音楽を止められなかったし呆然としてしまって苦しかった。そこから30分くらい経ってやっと言葉が出てきた。きっと今この文章を書くのをやめて日本史の勉強をしなきゃいけないんだろうけど、私がこれまでの人生で、動けない時に動き出すために編み出したのは文を書くことだったから。

あと1時間頑張ったら、祖父の寝る部屋の横を通った先にある部屋に置いてあるクッキー缶のなかの、シナモン味のクッキーを食べると決めていたのに、今日はもう無理そう。部屋の加湿器の水が空っぽなのも思い出したけど、祖父の部屋の真上を2往復もできないから諦めよう。

 

学校では、誰もガザとイスラエルの話をしていない。最近話題だよね、という目線でしか出てきていない。みんな、学問をする気があって、旧帝とかそれなりにいいとされる大学に入ろうと勉強しているのに、今世界や日本で起きていることを置き去りにしなきゃ受験に受からないって皮肉だなと思う。残念ながらスマホを開いてSNSでそういう情報を取りに行こうとしなきゃいけない環境にいるし、政治的なことを避けるような感じが漂っているからだと思う。

受験生をしていると、なんか空っぽになっていく感覚がある。考える時間や頭のキャパを勉強に取られて、私の考えがだんだんと薄くなっていく感じがする。

 

最近1番嫌なのは、音楽を、人の声をかき消す・話しかけられないようにする道具として使わなきゃいけないこと。音楽を音楽として聞く時間がめっきり減った。プレイリストから自然とバラードが減って行って、バキバキの音がずっと鳴るような曲が並んでいる。バキバキな曲の中にも好きな曲は何曲もあるはずなのに、その曲のことをただ周りの音が聞こえなくなるから、という理由で聞くのが悔しい。早く夜に部屋で音楽を流せるようになりたいし、私の好きな曲を、私が好きだという理由で選んで、聞けるようになりたい。